つれづれに
情報社会化をみながら、新たな家族のあり方を考える視点で、つれづれなるままに。
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近代の狭間にみる乳房
 バリでの話として、東京新聞が伝えている。かつてバリの女性たちは、乳房をだしていた。しかし、政府は乳房を隠すよう、身体の露出を禁止する法律を制定するらしい。これは我が国でも見られた話で、我が日本人女性も、かつてはおおぴらに乳房を出していた。それが近代化の影響で、乳房を出すことが反道徳的になり、我が国では今や乳房を見せなくなっている。
 しかし、近代化がすすんだ西洋諸国の女性たちは、今では反対に乳房をさらすように変わってきた。バリの海岸に行けば、おしげなく乳房をさらした白人女性でいっぱいである。ここで問題が起きたのである。西洋人女性たちは、ブラジャーをとってしまったので、今さら付けろと強制できないのだ。乳房を隠せといえば、観光客が減る心配がある。
 バリ人に対しては乳房を隠せといい、西洋人には乳房を隠せと言えない。バリ人も西洋人も同じ人間でありながら、2つの道徳を使い分けることになった。これは時代のなせる喜劇的な典型例である。
少子化の必然
 少子化の原因は、かつては女性の高学歴化と社会進出だと言われた。今は違う。晩婚化と非婚化だといわれる。しかし、晩婚化とか非婚化は、少子化を別の言葉で置き換えたに過ぎず、まったく少子化の原因を言ったことにはならない。
 少子化の原因は、子供がいなくても、生きていけるようになった。つまり、個人にとって、子供が不要になったことだ。なぜか。新たに興りつつある産業が、人間を不要だと言っているのだ。
 コンビニのパートがまっとうな職業となるようでは、こどもはいらないだろう。
 
育児と教育
 少子化が問題視されているが、子供を増やすことばかりに気持ちが行って、子供そのものにはあまり感心がないようだ。
 子供は誰かが面倒を見なければ、生まれたままでは成長できない。子育てには、育児と呼ばれる生物的な側面と、教育と呼ばれる社会的な側面があるように思う。きわめて大雑把にいうと、いままで育児は女性が担い、教育を男性が担ってきた。これは出産が生物的な行為であることから引き続き、家事労働に従事する女性の役割とされたが、男女別の性別役割分業ととても馴染みやすかったからだ。
 江戸時代以前は、全員が家におり家で働いていたので、性別役割分業と育児の関連が目立たなかったろう。また当時は、文字を知らなくても農業はできたし、計算ができなくても生きていけた。だから、教育の役割が低くて、育児の比重が高かった。そのため、子育てにおける男性と女性の役割分担が、あまり問題にならなかっただろう。
 近代になって、男性が工場などへ働きにいくようになって、初めて育児と教育の分化がおきたのだろう。そう考えると、子育てにおいても性別役割分業が効率的になったのは、近代特有の問題だと思えてくる。今後、男女性別役割が消失していくと、子育てにおける男女の役割も変わっていくだろう。
 
とげ抜き地蔵
 巣鴨のとげ抜き地蔵に行ってきました。レトロな店があったりして、とても興味深かった。露天にも「ふーん」と思わされる年寄り向けの商品が並んでいた。でも、意外に値段が高く、年寄りは金持ちなのだ、と驚かされた。参詣者たちは女性の2、3人連れが多かったが、老男女のカップルや孫とらしきカップルもいた。
 一番に感じたことは、日本人の身長が伸びたことだ。自分は大きい方ではなく、大勢の中にはいると先が見えないが、ここでは頭一つ出ている感じがした。自分ですら大きく感じるのは、かつての日本人がいかに小さかったか、と思わされた。
 自分が本物の老人になったときには、渋谷から巣鴨に遊び場を変えるのだろうか、と考えながら帰ってきた。
女性専用車
 先日、間違って女性専用車に乗ってしまった。目の前に来た電車に、何も考えずに乗ってしまってから、降りることができなくなって驚いたのである。正確には、すでに女性専用の時間帯ではなかったので、男性もちらほらと乗っていたが、圧倒的に女性が多かった。
 男性が多いいつもの車両と、車内の空気が違う感じがした。化粧の臭いというのでもないが、すこし臭いが違うのだ。多分女性たちは、男性の臭いに違和感を感じながら、いつも乗っているのだろうと思う。
 女性だけが閉じこめられた空間なんて、他では経験することはないので、新鮮な感じと妙な違和感が残った。


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